結構、周辺に、誰でも、芸能人の関係者が、居るのではないだろうか。私も、そうである。中学3年時の岩井小百合、同級生。その頃の近所に、山下泰裕。親の友達に、轟二郎、沢たまき、その元夫、ビリー吉田。ソニーか何かで、顔の広い人だったらしく、当時の多くの歌手などが、世話になりたがった人。姉の夫は、小林旭の事務所の人。この前の会社の師匠が、忌野清志郎の親戚。今日知ったのだが、たまの所属していた事務所に、カブキロックスが所属していたが、知ってるイカつい人が、そこの氏神一番さんの仲間だと言っている。メイクを取った、氏神一番さんは、その人に、人相が何というか似ている。ラップを少し歌ってくれたが。渋谷センター街のカリスマとか伝説とか、言われていることをインターネットで確認した。ビリー吉田のことは知らないと言う。尾崎豊は、原宿の方の人なので、交流はなかったという。この方は、有名な多数の歌手の類との交流が多く、結構有名どころのデビューをさせたそうだ。AKBのメンバー6人とか。悩み相談とか、新聞連載とか、ボランティアで続けているという。時代の中の、変わった人である。その人たちのサイン色紙を10枚ずつ集めてもらって売れれば、しばらくの間生活できるだろう。この前の警備会社は何と不採用になり、残りのお金が、9万円に成ってしまった。親の経営していた店の、天城越えの歌詞を作詞家が書いたサイン、あれを破り捨てたことがあるが。北島三郎の演劇の道具係をしたりした親の店のお客さんが、その話に大うけしていたが。東京の呑み屋から、流しにすごく歌のうまい人がいると、流しの人に2000円出して、自分の妻に電話で歌ってもらったことが、父にはあるが、その流しは、北島三郎だった。店の開店の時に、無名の瀬川瑛子に歌ってもらったことがある。のちその店を別の娯楽業に変えたところに、甘利明が、涙そうそうを歌って帰った。それにしても、テレビの時代は終わった。最近は、音楽の意味があまり感じられなくなった。今年の夏もまたセミが倒れていることを思うのに似ている、音楽を思うことが。秋の森のリスが落ち葉で音を立てた様子に似た、今、知らないどこか暗い場所で音が立つ映像が、浮かんだ。