財布にあと400円くらいしかないので、明日母親に借りに行かねばなるまい。15日まで持たすには5000円か。大きい砂漠を粗方緑地にしないと地上の自然界は無くなる。空も微生物も海も。人類は60年後には居なくなる。そう私は読みました、将棋のように。地球表面は120℃どころでない温度になる、酸素濃度は低くなる。もし人類が生きていきたいのなら、そのうち始めるだろうが、間に合わなければお仕舞い。オーストラリアやアマゾン川流域の火事と動物のまる焼けを、ただなんとなく思っている日本人は、《河岸の火事や柿だ》では甘い。日本は海に囲まれている分大陸よりは熱くなりにくいが、お金がものをいう間に緑地化しないと、経済も生活もあまねくすべてのヒトに無くなる。手も足も動かなくなる。私が生きている間に、大体そうなったら、宮沢賢治に申し訳ないというより、やたらくだらない。ここらの世代は、このことはしておかなければならない。マホメットの予言のように、粉になってみんな宇宙に飛んで行ってしまう。善人も悪人も。今回は、人類が手を入れなければ生物系は終わる。そう決まってからの音楽を聴きに生まれたのではない。サルの大家、柳原幼一郎を呼んで『さよなら人類』を歌ってもらってお開きの世か。赤い地球になれば食循環の悲しさが無くなるが、それこそが幸いなのならば、テロも戦争も殺人も大虐殺も生物絶滅も、正しい善行だったことになる。ちらつかせ続けた愛や夢は、憧憬させた昔の地方の景色は、低偏差値の母の苦労は、意味を持たない虚構である『生きる』の、募集のチラシだったのか。グレートヴィクトリア砂漠を緑地にすれば、カンガルーもコアラもツノゼミも、小さな息で、眠るのに。